赤羽 北区の皮膚科,美容皮膚科,アレルギー科 中島皮フ科

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理事長のご挨拶

中島 知賀子(皮膚科)

理事長略歴
平成07年3月
北里大学医学部卒業
平成07年4月
日本医科大学付属病院 皮膚科入局
平成10年1月
中島皮フ科 開業
専門とする疾患など
  • ニキビ・アトピーなどの一般皮膚疾患
  • 最新式光治療など
所属学会・認定医など
  • 日本皮膚科学会
  • 日本抗加齢学会

はじめまして。
理事長の中島知賀子です。
当院のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。

中島皮フ科は1997年、赤羽に開業しました。
皮膚治療専門クリニックとして赤羽の皆様に愛されながら、今日に至っております。
開業当時は赤ちゃんだった子供が、今ではもう立派な大学生。
皆さんの生活の中に変わらずに寄り添える存在であることに喜びをかみしめながら、日々の診療を行っております。

【中島 知賀子ってどんな人?】
三重県で生まれ、両親と姉の4人家族で育った私は、小学生のときに東京へ引っ越してきました。
完璧で何でもこなしてしまう姉に負けないように、なにより厳しかった母に認められるようにと、何でも人一倍忙しくしながら取り組んでいました。
学生時代も、学校にアルバイトにと、ハードスケジュールをこなす毎日。
27歳で開業したときも、結婚・出産後の間もない頃でした。
どうしても忙しくすることを選んでしまうようですね。

皮膚科医になった経緯は、医学生時代の臨床実習がきっかけでした。
他の科と違い、医師が診ただけで方針がすぱっと決まっていく皮膚科に興味を持ったのです。
苦手だと思っていた手術も、実際はとても興味深く、大学入学時は小児科医を目指していましたが、方向転換して皮膚科を専攻しました。

2年間の研修を終えてすぐに開業したため、当時は右も左も分からない状態。
非常に忙しくありましたが、母の協力もあり、生まれてきた双子の育児をしながら仕事をこなしていました。

開業して十数年。本当に様々な経験をしてきました。
上手くいかないことも、世間の荒波にのまれることも、一時は仕事を続けることができずに、クリニックを離れたこともありました。
それでもまたこうして診療を再開できたのは、変わらずに迎え入れてくれた患者様やスタッフ達のおかげです。
皆さんのあたたかさに、私はどれだけ救われたことか。
患者さんやスタッフ達に、心から感謝しながら、あたたかく、笑い声の絶えない診療を続けています。

【今の私から伝えたい想い】
当院の治療で大切にしていることは、皮膚の病気やトラブルと上手く付き合っていけるようにサポートさせていただくこと。
その上で、綺麗になることも忘れないでいただきたいから。
赤羽地域で一番最初に美容皮膚科に取り組んだ診療所として、 保険診療も行いながら、ご興味のある方のみに新しい予防治療や美容治療の方法をお伝えしております。

「綺麗になると、きっと皆嬉しくなる。」
心も身体も美しくなるサポートをさせていただけたらと願っています。

それと、当院自慢のスタッフ達は、本当に優秀な人達ばかり。
ちょっと抜けた所のある私のフォローをしてくれたり、優しさと親切心に溢れる人達ばかりなので、医師に聞きづらいことはスタッフ達にご相談下さいね。

患者様と一緒に悩みながら笑いながら、皆さんが心から笑顔になれるような治療を目指していきます。


以前のご挨拶はこちら

はじめまして。
皮膚科を担当します、中島知賀子です。
『肌が明るくなることで、心も明るくなる。』
これは、私から患者様に伝えたいことです。
例え、70歳のおばあちゃんだって、一人の女性。
女性として美しくいたいという願望は当たり前のこと。
シミが一つなくなることで、沈んでいた気持ちも明るくすることができるのです。
「肌のトラブルがあるから外に出れない。人と会うのが怖い。」
そんな気持ちがなくなるように。
肌の治療、そして美容ケアを用いて肌を美しくすることで、心から明るくなることを大切にしています。

【中島 知賀子ってどんな人?】
三重で生まれ、両親と姉の4人家族で育った私。
両親の仕事の関係で、小学校のときに東京へ引っ越してきました。

完璧で何でもこなしてしまう姉。一方、私はとても楽観的な性格。
比較されて負けてしまうのは分かっていても、いつもどこかで姉に負けないように、
厳しかった母に認められるように。
勉強も、好きな遊びも全部一生懸命やってきました。

そんな風に自然と何でも頑張り、忙しくしてしまう私。
高校時代は、昼間は学校に行き、夜はアルバイトをして。学生の頃からハードスケジュールをこなす生活をしてきました。

ですが、昔からハードな日々を送ってきた甲斐もあってか、結婚・出産の後すぐに開業することを決断。
開業当初は生後半年の、それも双子の育児をしながらの仕事をしていました。

経営に苦しむこともたくさんありました。上手くいかないことも、世間の荒波にのまれることも。
本当に色んなことが起こった16年間の開業生活。
それでも、大変な仕事をこなし、仕事が好きだと思えたのは、他でもなく私に会いにきてくださる患者様達でした。

自分に自信の持てなかった私。いつも姉と比べて劣等感を持っていた私。
そんな私でも、仕事では誰かの役に立てる。それが本当に、心からの喜びで、私の原動力となっていたのです。
ですが、そんな原動力があっても、動きが止まってしまった出来事がありました。

医院を大きくしようと、自社ビルを持ち、忙しくなっていたとき。
私は子どもたちの「教育ママ」と化し、子どもにしっかりとしたレールを敷こうと躍起になっていたのです。
「良い学校に入れたい」
その気持ちが裏目に出て、時期は違えど優秀校に進学した子ども達でしたが、
成績を上げて行かなければならない学校と合わずに、
2人とも学校に行くことができなくなってしまったのです。

「自分のキャリアのために仕事を辞めず、家庭を犠牲にしてきたのかもしれない」
「子どもを追いつめて苦しめてしまったのかもしれない」
家族のことを考えすぎるあまり、私は"メニエール"というストレス病を発症。
仕事に出られる状態ではなくなってしまったのです。

「会いにきてくれる患者様に会いたい。」
「私が診療をしなければ。」
そんな気持ちとは逆に、私の身体は動かなくなりました。
ずっと大事にしていた医師の仕事を止むなく辞退することとなりました。
当時の患者様には、この場を借りてお詫びさせて下さい。
急に姿を消してしまい、本当にごめんなさい。

【今の私から伝えたい想い】
現在はというと、少しずつ家族の状態も良い方向に進んでいます。
今は都内から離れ、ゆったりとできる田舎に移り住みました。
落ち着いて思ったこと。
やはり、『患者様の力になりたい』ということ。
もしも貴方が肌にトラブルを抱え、家から出られない状態になっているとしたら、伝えたい。
『私の力を使わせてほしい』と。
肌の病気は慢性的に続くものが多いけれど。それでも、キレイになることはできる。
肌を明るくすることはできる。
気持ちが沈んでしまう苦しみを痛い程知っているから。
だからこそ、私が力になれることであれば、少しでも心に明かりを灯したいのです。
どんなことだって、ほんの少しの希望は消さないでほしい。
できるところから、一緒にゆっくりと。
心も肌も明かりを灯して行きましょう。



 

医師のご紹介

江口 智明(形成外科)

所属学会ならびに資格
  • 医学博士
  • 日本形成外科学会認定専門医
  • 日本頭蓋顎顔面外科学会評議員
  • 日本口蓋裂学会
  • 日本創傷外科学会
  • 日本マイクロサージャリー学会
  • 日本褥瘡学会
  • 日本美容外科学会
経歴
昭和63年
千葉大学卒業 茅ヶ崎徳州会病院・米国ミシガン大学留学を終了
平成13年
東京大学講師
平成16年
帝京大学形成外科準教授
平成21年
虎の門病院形成外科部長
コメント

治療の結果は大切です。それと同じくらい、痛くない治療・腫れの少ない手術を重視しています。

佐藤 卓美(皮膚科)

略歴
平成14年5月
昭和大学医学部皮膚科学教室
平成16年10月
昭和大学横浜市北部病院 員外助手
平成19年12月
昭和大学横浜市北部病院 助教
コメント

皆様の皮膚のお悩みを解決できるよう、精一杯頑張ります。
よろしくお願いいたします。